日本橋倶楽部でほしひかる氏が講演 「日本橋発、江戸蕎麦文化」
投稿日時 2024-05-29 16:05:48 | カテゴリ: 最新ニュース一覧
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5月22日、コレド室町3(東京・中央区)内の日本橋倶楽部(理事長/清水満昭)にて、江戸ソバリエ協会理事長のほしひかる氏が「日本橋発、江戸蕎麦文化」と題した講演を行った。当日は35名の紳士淑女らが参加し、講演に耳を傾けた。 ほし氏によると、ソバの植物栽培が開始されたのは5,000年前の中国・三江地域。中国の南方、タイやチベットにほど近い場所が発祥という。麺の誕生は4,000年前の中国・青海省海東市の遺跡から粟・黍の麺が発見されたことからその頃といわれており、1127〜79年中国・南宋の飲食店ではあらゆる麺の料理が提供されていた。ソバが日本に持ち込まれたのは、南宋に渡った臨済宗の僧・円爾が点心料理としてソバを食べ、日本に製粉機の図面を持ち帰った1235〜41年頃。その時に麺のつくり方や道具等の知識が広まったことで、徐々に日本でも麺文化が広がってゆく。そして日本では14〜15世紀に麺文化が花開き、1438年に初めて相国寺『蔭凉軒日禄』に「𪍷」としてそばが登場する。しかし、その時は寺院等で食べられる寺方そばとしてで、庶民に広まるのはもう少し後のことになる。 1574年、「ソハキリ」(定勝寺文書)として庶民に「そば」が知られることとなる。そば切りは京から街道沿いに寺院・大名・本陣から庶民へ広がり、幕藩体制による貨幣統一、交通網の充実で商人が台頭。参勤交代によって都市の食文化が発展し、江戸時代に入った17世紀始めに日本初の外食店「奈良茶飯屋」が浅草に誕生。1664年頃には日本橋瀬戸物町「信濃屋」や元吉原「仁左衛門」、浅草「伊勢屋」といったそば屋が誕生する。68年頃にはそば猪口等を扱う焼物問屋「伊万里屋五郎兵衛」やそば打ち道具専門店等、3,000軒の道具屋が江戸の町にひしめき合い、そば文化は急激に発展。84年頃にはそば打ちが研究され、練り方、延し方、切り方、茹で方と工夫が重ねられ、細く長い二八そばが食べられるようになっていった。この頃に年越しそばや引越そばも提供されるようになる。また、商品としてそば麺の販売、麺つゆの開発も行われるようになり、そば粉や醤油、カツオ節、ネギ、わさび、大根、唐辛子、養鴨等といった産業化も広がった。そして欧米の立ち食い文化から立ち食いそばが生まれ、明治期以降の脱亜入欧路線から和食の大衆化が進み、現在に至る。講演はここで終了し、その後は参加者とほし氏の活発な質疑応答が行われ、日本橋とそば文化を深く学べた濃密な時間となった。
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